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Karte.1 吸血鬼2

人を驚かせる事も先生の奇癖の一つである。突拍子もない事や難解で意味深な台詞を投げかけては相手が呆気に取られる姿を見てにやにやと微笑む。今も先生は腑に落ちない表情の私を見つめてにこにこと満足気な表情をしていた。
「何度もすみませんが、厨二病ってあの、あれですよね。思春期の子供がいきなり『自分は実は悪魔超人だ』とか言い出して設定ノートとか書いちゃうやつ」
子供の頃、大好きだった漫画の悪役の名前を口にした瞬間、堰を切ったように先生が笑い出した。
「あはははは!春瑠ちゃん、なかなか渋いチョイスするねえ。今時悪魔超人なんて知ってる子供は居ないよ。いや、昔の子供でも悪魔超人にはなりたくないんじゃない?あははは」
――私はなりたかったですけどね。
我ながら古臭い子供だったと恥ずかしくなり、げらげらと笑い転げる先生から顔を背けた。

「はー、面白かった。いやあ、やっぱり春瑠ちゃんは面白いねえ。春瑠ちゃんの思い入れについて詳しく聞いてみたいとこだけど、ぼちぼち患者も来るしその前に厨二病について詳しく説明させてもらうよ。まず、もともとの語源はある芸能人が言い出した中二病って言葉なんだよね。こっちはチュウの文字に中って字を当てる。大人ぶって苦いコーヒーを飲んでみたり、虚無主義を気取ってみたり。これはおそらく精神の発達期において学校教育という没個性的な教育の中で個性を伸ばそうとする精神のレジスタンス的働きだろう。学校社会の均一化のプロセスに反抗するアイデンティティの発現なんて言い方もできるだろうね。とにかく同級生より目立ちたいって気持ちが過剰に出てきた結果なのさ。基本的にはニキビみたいなもんで、精神が十分に発達してくれば自然に治る。逆に一度も中二病期を過ごさないと大人になってから変な格好の付け方をして恥をかくような羽目になるから、一度は中二病になっておくほうが健康的かもしれないね。ただ、その中で興味深い分野が厨房って文字が入る方の厨二病。こいつはちょっと趣旨が変わって、憧れるのが大人ではなく『現実にはなりえないモノ』なんだよね。例えば悪魔超人だったり、超能力者だったり、妖怪だったり。非現実の方に個性を伸ばす事で学校社会や一般社会からの逸脱を図る訳だ」

とかく先生は色々なことに詳しい。芸能人のゴシップやポピュラー音楽から医学法学天文学に至るまで先生は豊富な知識と自論を持っており、それを語る事を好んだ。とはいえ下らないスラングについてこうもべらべらと喋る人間がいるとは思ってもみなかった。
「これもまあ基本的には治るんだよね。まあ、治った後の恥ずかしさは前者の比じゃないけれど。これもたまに治らない人がいて、そういう人は二十代になっても邪気眼がどうこうとか言いながら同人誌書いたりしてる。まあちょっと変な人ってだけで別に精神病じゃあないから気にしなくていいんだけど。でも、厨二病がヤバいのはごくわずか、ほんの一握りは『ほんとに病気になっちゃう』ってとこなのさ」
中学時代、絵がうまかった友人のことを思い出す。先生の言ったそのままに彼女は現実の世界よりも空想の世界で生きることを選び、今はどこか東の方で同人作家になっていると聞いた覚えがある。彼女は精神のニキビがしつこく残ったままだという事だろうか。
「破瓜型統合失調症って知ってるかな?」
「……名前くらいは。確か十代に多いんでしたっけ」
「正解。いわゆる思春期の若者に多いタイプの統合失調症で、幻覚幻聴はあまり見られず感情の欠如が主症状として見られる。こいつはすっごく治りにくくて、治療しようと思っても患者がすぐ引きこもっちゃって薬を飲んでくれないんだ。だから、予防する」

先生の講義めいた語り口に一度はなるほどと納得しかけたものの、話の中に一つ引っ掛かりを覚える。
「……あの、それって変だと思います。厨二病の人が統合失調症になるなら空想が悪化するんだから幻覚、幻聴がありそうなんですが」
「さっすが春瑠ちゃん、良いところに気付いたね。破瓜型統合失調症の発症は、空想がどんどん膨れ上がっていくことで起こるんだけど、少し面白いプロセスをたどるんだ。当然と言えば当然なんだけど、厨二病になって空想の世界に個性を求めた人間にも自分の本質がこの現実社会にある事の認識は残っているんだ。だから、空想の世界の個性も現実社会の自分に起こりうるレベルに留まっている必要性がある。少なくとも本人が『これは空想上の自分の姿である』と許容できるレベルの現実性が必要なのさ。けれど、空想の世界に現実性を求めるなんてのは雲を掴むようなもので、空想はどんどん膨らんでその内に『自分』という個性の許容の限界を超える。空想世界の自分が自分じゃなくなるんだ。そうなった時、アイデンティティは消失する。アイデンティティっていうのは心の中の自分だから、それが無くなるってことは、心を失うのと同義だ。そうして患者は自分の感情すらうまく引き出せなくなってしまうんだね。あ、これ僕が勝手に考えてるだけで、精神医学的にエビデンスがある話じゃないから鵜呑みにしちゃあいけないよ」
スムーズな語り口と論理的な理屈で半ば信じかけていたというのに、最後の一言で梯子を外されたような気分になった。呆れ顔で先生を見るが、先生は意にも介さない風でにこにこと笑っている。
「おいおい、そんな眼で睨まなくてもいいじゃないか。僕が考えてるってことは稀代の天才が立てた仮説だぜ。それなりに信用できるかもしれないよ。それに、お偉いさんの子供が超能力だの霊能力だの言ってりゃ世間体が悪いだろ。そういう理由もあって、とにかく今回は空想の世界のお姫様を非情な現実の世界に叩き落としてやらなきゃいけないんだよ。どうせいつかは落ちるんだから、今の内に落としておいた方が落下の傷も少ないってもんさ」
自分の事を稀代の天才と恥ずかしがりもせずに言ってのける自尊心に見合う先生の知能は嫌というほどに知っている。今更何か言う気にもならなかった。とにかく、今日は厨二病のお姫様とやらを現実に引き戻してやらねばいけないらしい。こうなったら腹を括るしかない。そうと決まれば不思議なもので、先ほどまでの不安はどこへやら。厨二病の治療にはどんなことをするのか楽しみになってきた。
「おっ、春瑠ちゃん、口元が緩んでるぜ。そうそう、こうなりゃ逃げられないんだから楽しんどく方が正解だよ。春瑠ちゃんのそういうクソ度胸、大好きだよ。さあ、そろそろ患者が来る頃だ」
せっかく決めた覚悟をクソ度胸呼ばわりされるのは癪だったが、いちいち目くじらを立てているわけにもいかない。一つ息を吐き、白衣の襟を正した。

ちょうどその時、見計らったかのようにこんこんと扉を叩く音がした。
「どうぞ」
先生はいつものような軽い調子で迎え入れる。扉が開き、現れた人影には見覚えがあった。
「いやあ、赤服先生。いつもお世話になっとります。相変わらずお元気そうで」
平野警部。県警の刑事課長を務めており、監察医務室へもよくやって来る。本庁から県警にやってきたキャリア組、と言えば聞こえはいいがつまりは無能なので飛ばされたのである。目上にへつらい部下をこき使う、声ばかり大きい小役人の典型であるが、先生はこの平野警部を上手く扱い、県警への太いパイプを手にしていた。先生曰く「こういう人は適当に褒めとけば色々と役に立つし、こっちがこそこそ隠し事してても気づかない。おまけに役立たずだから切り捨てても一つも困らない。最高の人材だよ」という事らしい。つまりは徹底的に馬鹿にしつつ使えるうちは使うという極悪非道な関係を構築しているのである。
「警部の辣腕ぶりはますます冴えわたっておられるようで。H県警に平野あり、と他県の監察医からも聞いてますよ。ところで、赤服先生というのは僕はあまり気に入ってないのですが……」
赤服先生というのは、桐原先生のあだ名である「近衛兵(レッドコート)」が転じたものである。教授のえこひいきの英国かぶれに付けたあだ名を本人がえらく気に入ってしまったため、あだ名を付けた側が、これではいかんと和訳してみたところ伊勢名物のようなコミカルなあだ名になり、本人もそう呼ばれるのを嫌がったため、今ではこちらが定着している、らしい。平野警部はそういった経緯をつゆ知らず、おそらく呼びやすいから呼ぶくらいの認識で呼んでいるのだろう。桐原先生が訂正しようとしてもどこ吹く風である。
「いやはや!まさか他県にまで響いているとは。お恥ずかしいですな」
案の定、先生が適当にでっちあげたお世辞を真に受けるのに夢中である。先生曰く、こういった単純な所が扱いやすいので多少気に入らないあだ名で呼ばれるくらいの事はひとまず許容するらしい。

「さて、そちらのお嬢さんが例の方ですか」
平野警部の背後に隠れるように女の子が立っていた。背丈は平野警部より少し低いくらい。警部がおおよそ百六十五センチといったところだから高く見積もって百六十センチ位だろう。やたらとフリルの付いたブラウスに大きく膨らんだスカート。胸には薔薇のコサージュ、髪にはこれまたフリルだらけのカチューシャ、そして左目に付けた眼帯には十字架の刺繍がしてある。斜めに大きくジッパーが付けてあって非常に使いにくそうなバッグを含め、身に着けているものは全て黒を基調としたモノトーン。わたしなら頼まれても着たくないな、と思う。長い綺麗な黒髪と眼帯で隠れていない顔を見たところ、普通にしていれば可愛らしい年頃の女の子なのに。お父さんには似ていないようで何よりである。少ない髪の毛が必死の抵抗を見せている平野警部の頭と彼の三枚目の顔を見て、そう思った。女の子は少し俯いて、何をするでもなく佇んでいる。
「ええ、娘の晶(あきら)です。中学三年生なんですがこの通り、訳の分からん恰好ばかりしていて、学校もさぼりがちでして……。これじゃ、何のために私立に行かせているんだか。おっと、勤務時間中なのを忘れとりました。すみませんが私はこれで。それじゃ、よろしくお願いしますよ」
そう言って平野警部は女の子を残し、そそくさと逃げるように去って行った。ところが女の子、平野晶は父の方を見もせず、人形のように突っ立っている。さてどうしたものかと先生の方を見たが、先生は女の子を面白そうに見つめるばかりで口を開こうとしなかった。

sage
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