TOPに戻る
前のページ  次のページ

7

興奮した顔で長々とした科白を吐き出し終わると、桐原は傍らに置いてあった黒い大きなドクターバッグからデジタルカメラを取り出した。
「そうそう、忘れる前に撮っておかないと」
そう呟いて件の遺体に向かってレンズを向ける。慌てた吉川が肩を掴むまでに二三回シャッターは降りていた。
「何やってんだあんた!」
「何って……見りゃあ分かるでしょ。撮ってんですよ、このめっずらしいご遺体を」
吉川の怒気を含んだ眼光にも桐原は全く悪びれる素振りすら見せない。慌てたように大西が割って入ろうとする。
「証拠写真ならうちのカメラで撮りますし、今のご時世プライバシーとかまずいんですから」
「いや、別に好奇心で撮ってる訳じゃあないんですよ。教育用です。ご存知かもしれませんがぼくは近所のK大学医学部の助教授もやってまして。教授が授業をやりたがらないもんだからぼくが大学生に週一回法医学を教えてるんですよ。そこで使う教材です。もちろん、遺体の身元がはっきりして、ご遺族に了解を取って、事件のほとぼりが冷めてから、ですけどね。そりゃ証拠写真がもらえるならそっちの方が楽なんですがね。でも警察は内部資料がどうだとか資料の価値も知らずに声高に叫ぶもんだから、証拠写真横流ししてもらうためには平野さんみたいな人に甘い汁吸わせてやんなきゃいけないでしょ。学生の為に自腹切るのも阿呆らしいってんで今じゃこうやって撮ってんですよ。ま、上司の収賄予防ってことでここは一つ」
「あんたなあ……」
へらへらと笑う桐原の姿に、肩を掴む手にも力が入る。
「いたた、ぼかあ殴るだの殴られるだのは苦手なんですから勘弁してくださいよ。それに、すいませーん!平野警部ー!」
桐原が急に大声を上げ吉川の上司の名前を呼ぶと、平野はこちらを振り返る。吉川と桐原の姿を認めると小走りで近づいてきた。

「何をやっとるんだね」
「いや、先生が勝手に写真を撮るもんで」
「撮らせてやりなさい。教育用でプライバシーにも配慮すると聞いている。何も問題はなかろう」
そう言うと平野は桐原の肩を掴む手を払いのけた。
「すみません警部、お手間をおかけしました。このお礼は必ず」
「いえいえ先生、いつも先生にはお世話になってますからな!また何かあればどうぞ言ってくださいよ」
平野は桐原ににっこりと笑いかけ、そして吉川を一睨みして去って行った。

「ま、『そういう事』です」
桐原はにやっと笑ってまた死体の方に向き直り、パパラッチのように何度も何度もシャッターを切った。ファインダーからは目を離さずに桐原が呟く。
「ちょっとだけ裏話をしますと、大学の法医学教授ってのは大体死体写真のコレクションを持ってまして。無論学生の教育用に集められてはいるのですが、嘘か真か年に一度全国の教授連中が東京の小劇場を借り切って、そこで死体写真コレクションのお披露目をやるらしいんですよ。珍しい死体、グロテスクな死体は喝采を浴びるとか。そうしてその年で一番の死体写真を出した教授には何かイイ事が待っているとか。そのため全国の法医学教室では血眼で死体の写真を撮っている、という噂話を聞いたことがあります」
シャッターを切り終わり、撮った写真を一枚一枚念入りに確認しながら桐原はこちらに向き直った。
「もしそんな大会がほんとにあったら今年のうちの優勝は固いですね」
――大学という閉鎖空間の中でもひときわ隔離された地下室のような法医学教室という所には魔物が棲んでいるらしい。
吉川は苦々しい顔で桐原を見つめる。

「先輩、うちこの先生苦手ですわ」
嫌悪感を顔全体に張り付けた大西が隣で呟いた。
「ああ、俺もだ」
sage
前のページ  次のページ
TOPに戻る
inserted by FC2 system